「猫町」(萩原朔太郎)①

確信犯的な幻影体験なのです

「猫町」(萩原朔太郎)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
 新潮文庫

詩人の「私」は、散歩の途中で
方角が分からなくなり、
近所の町でさえ
見知らぬ場所に感じる経験を
度々してしまう。
「三半規管の喪失」である。
ある日、Kという温泉に行き、
またもや方位不覚に陥る。
そのとき目の前に現れた町は…。

現れた町の姿は、
「見れば町の街路に充満して、
 猫の大集団が
 うようよと歩いて居るのだ。
 猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。
 どこを見ても猫ばかりだ。」

町中に溢れる猫の集団。
特撮映画もどきの
SF小説ではありません。
これはドラッグ常習者が見た
幻影なのです。
猫とはいえ、明るくもかわいらしくも
ないに決まっています。
無理に想像すれば、そこに溢れるのは、
さしずめポーの「黒猫」のような
猫の集団なのかもしれません。
「猫町」は「精神が崩壊しかけた男の見た、
狂気の一歩手前の幻覚」なのです。

もちろん、「私」の目の前に
いきなり猫町が
現れたわけではありません。
段階を追って、目に映る景色が
徐々に変化していくのです。

第一段階:怪しい噂の刷り込み
「私」は現地人から吹き込まれた、
犬神猫神の迷信を思い出し、
反芻しているのです。
自己暗示が始まっています。

第二段階:道を見失う
迷信について考え込んでいたため、
迷子になり、
パニックの初期症状が現れます。
焦れば焦るほど
細い道へと迷い込みます。

第三段階:異空間へ出る
やっとのことで大通りに出ますが、
精神の安定には結びつきません。
賑やかな街並みなのですが、
そこに張りつめる異様な空気を
「私」は嗅ぎ取っています。

第四段階:ついに猫、猫、猫。
緊張感が頂点に達し、
ついに「私」は「猫町」の世界を
体感するに至るのです。

しかし「私」は
見たくもない幻影を
見たのではありません。
「今だ!と恐怖に胸を動悸しながら、
 思わず私が叫んだ時、
 或る小さな、黒い、
 鼠のような動物が、
 街の真中を走って行った。」

つまり、
「私」はその世界に入ることを
自ら望んでいたのです。
もともとモルヒネやコカインを使って、
「私」は陶酔の世界に
入り浸っていたのですから。
確信犯的な幻影体験なのです。
作者・萩原朔太郎は
小説家ではなく、詩人です。
本作品の詩人「私」は、
おそらくは作者自身なのでしょう。

デカダンスの香りの濃い、
妖しい作品です。
しかし、高校生が
小説の異世界を味わうのに
最適な一冊と考えます。
読解力と感性を研ぎ澄まして
挑戦して欲しいと思います。

※ちなみに私は
 決して猫は嫌いではありません。
 むしろ大好きです。
 外で猫を見かけると
 無意識のうちにおいでおいでを
 してしまうくらいです。
 でも女房が大の猫嫌い
 (生きもの嫌い)であるため、
 猫と仲よくできないでいます。

(2018.9.5)

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